この墓地は灘の松原自治会の霊園管理委員会が管理しています。最近は墓終い(じまい)をされている方が居て、空いてる墓地があるそうです。
救世観音菩薩像 建立由緒
以下は菩薩像の横にある石碑の文章を転写しました。
市川下流の左岸を南北に走るお旅山系、その最南端の山を海山と云う。往時当地一帯の低地で広く海に覆われ、海山が岬の状態を呈して海中に突き出し播磨灘の潮流が山裾の渚を洗った。海岸には様々なものが漂着し水死体が流れ着くことも少なくなかった。
海山は松原八幡宮ノ神宮寺として知られた名刹松原山八正寺の発祥地と伝えられる。八正寺はやがて現在地に進出したが墓地は此処に残り、当地海岸に漂着した水死者は村人同様に手厚く葬られ、以後供養も今日まで絶えることが無かったと云う。
お旅山系は灘祭りの神幸行事と姫路地方最古の古墳が存在することにより、広くその名を知られるが更に記念すべきものを挙げるとすれば、それは上に述べた幾多名も無き無縁仏の霊が眠る、此処海山山麓の灘の松原墓地であろう。
この度、救世観世音菩薩像が建立されるに当り、墓地に眠る数多故人の冥福を祈ると共に、当地の先人が代々積み重ねて来た隠れた遺徳を称え、往時の歴史の一端を記して世人の参者に供するものである。
播磨地誌研究家 寺脇弘光氏
昭和61年3月 建立
回想
私が小学生低学年(昭和41年前後)の頃、松原墓地のことを「さんまい」(三昧?)と呼んでいました(今でもですが)。その頃、救世観音菩薩像の辺りは火葬場と葬儀に参列する広場がありました。火葬場の西側には住宅があり、家族が住んでいたのを覚えています。今思えば墓守をしていたのでしょうか。その家の子供たちとその広場でカン蹴りなどして遊んだ記憶があります。いつ、その家族が居なくなったかわかりません。
三昧場(さんまいば)
火葬や埋葬をする場所のこと。三昧(ⓈⓅsamādhi)の意訳である「定」を死と結びつけて、火葬・埋葬する場所をいう。日本では古来、遺体は人里から離れた場所で、風葬や土葬により葬られていたが、仏教伝来以後、火葬が行われるようになると、一定の場所で火葬・埋葬をするようになり、これを三昧場と称した。三昧場には行基に関する伝承が多く、『行基菩薩草創記』には「墓地は釈尊三昧の火を承け伝えて、亡者を荼毘する仏縁深き地であり、墓地を三昧と称することは行基にはじまる」「行基が聖武天皇の許しを受けて、諸国に三昧を開創した」(上・六ウ・オ、趣意)などと伝える。後世、行基の遺志を継ぐと称する民間僧が、三昧場で葬送に携わったことから、彼らは三昧聖と呼ばれた。また、葬送や死者の供養を行うために、三昧場の周辺に作られた堂社を三昧堂という。
新纂浄土宗大辞典
突然のことで失礼いたしますが、お尋ねしたいことがあります。
私、灘の松原海山霊苑に祖父の墓があります山田裕司といいます。祖父の俗名は山口一郎です。
お尋ねしたいのは、松原自治会の霊園管理委員会の連絡先です。
お尋ねしたい内容としては、私の叔父にあたる山口宗英がお納めしている墓の管理費用の期間についてです。
以上、突然のことで大変恐縮ですが、よろしくお願いいたします。