楼門から本殿の方を見つめている、左右に一体ずつの随臣(随身)像の存在をご存知でしょうか。
随身とは平安時代以降、貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人。令外官。とあります~Wikipedia
随臣(随身)は雛人形にも登場します。5人囃子の一段下の両端に居る若者と老人が背に弓矢を担いでいるのが随臣です。役職は、お内裏(だいり)様を警護するいわゆるボディガードですね。随臣は左大臣、右大臣とも呼ばれていますが、正しい呼び方じゃないと言われています。
楼門の随臣像
江戸時代延宝七年(1679)に建てられたこの楼門は組み上げ式建築の立派な楼門です。この中に納められていた随臣像は年月を経て傷んでいましたが、昭和三年に松原氏子の吉田豊吉氏が修復され奉献されました。
豊吉氏は松原八幡神社宮司の亀山雲平の「観海講堂」に学ばれた立派な人物で、長男の吉田和吉氏は姫路市教育長に、次男豊信氏は姫路市長に就かれました。
左大臣(左大神)
矢大臣(矢大神)
和吉氏の息女孝橋明子氏は、祖父の尊志を継ぐ意味で、平成二十九年十一月 楼門左右の随臣像を新調・奉納されました。
日本の神道において、神を守る者として安置される随身姿の像のことも「随身」といい、この場合は随神とも書かれる。門守神(かどもりのかみ)、看督長(かどのおさ)、矢大神・左大神とも言う。神社の門のうち、門の左右に随身を安置した門のことを「随身門」と呼ぶこともある。
Wikipedia
随臣様、いつまでも八幡神と神域の警護をお願いします。「随身」「随臣」「随神」と漢字は色々ありますが、役職はボスを警護する者という解釈で良いのではないかと思います。
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